目次
子供の実際の成長と親の教育方針は、同じではないはず
親が子供をどのように育てたいかということと、実際に子供がどのように育つかは違います。
親が優れた教育方針を設定すれば、子供が親の思い通りに育つわけではありません。
子供の性格や個性もそれぞれなのですから、子供がどのような成長を遂げることが正解なのか、親が一方的に決めることは出来ないはずです。
自戒を込めて最近思うこと
「子供は、親とは異なる人格を持った一人の人間である。」
この事実を親が意識し続けることができるかどうか、それによって今後の親子関係に大きな影響が出るのではないか。
今回の記事では、自戒を込めて、最近感じていることを書き連ねたいと思います。
子育ての方針に関しては様々な見解があって当然だと思います。
数ある意見の一つとして、寛大なお気持ちでお読みいただければ嬉しいです。

一方的に「伝えたい」という想いがあった
親には、これまでの社会生活で身に付けてきた経験や知識があります。
成功体験もあれば、後悔や反省もあります。
自分が学んできたことを「少しでも多く」子供に伝えたい。
子に対する親の「誠実な態度」として、そう考えている時期がありました。
まさに3歳の子供に自転車の乗り方を教え始めていたときの頃です。
「子供のため」という嘘
しかし、そうした親心は「子供は、親の言うことを聞くべきだ」という考えにしばしば繋がります。
子供が「僕はこうしたい!」と主張したときに、子供を論破するのは簡単です。
親の方が知識も経験もあるのですから。
・君は小さいからまだ分からないのだ。
・今は言うことを聞いておいた方が得だよ。
・パパは正解を知っているんだって。
・君のために言っているんだ。
こうした言葉が、あと少しのところで出そうになった場面を覚えています。実際に言ってしまった記憶もあります。
確かに、子供は沢山間違えるかもしれません。これからも間違え続けます。
でも、そうしたことよりも、もっと確実なことがあります。
「自分がして欲しくないことは、他人にしてはいけない」ということです。
子供の頃に大人に言われて嫌だった言葉の数々を、どうしてよりによって一番かわいい息子に浴びせるのでしょうか。
かわいい子供のためを思う親心があるから敢えて言うのだ、という説明もあるかもしれません。
しかし、それは嘘だと思います。
子供が失敗を通じて成長するという一連の経験を、大人が「待てない」だけなのではないかと思うのです。
「子供のため」ではなくて、「自分の都合」で言っているだけではないでしょうか。

ささいな日常から始まるからこそ、たちが悪い
子供の人格を尊重しない行為は、日常のささいな行為から始まるからやっかいです。
自分の普段の行動を振り返ってみてもそう思います。
「今日はこっちの服にした方がいいよ」「このパンの方が美味しいよ」という、半強制的なアドバイスもそうした類のものです。
だからこそ、最初に書いた「子供は、親とは異なる人格を持った一人の人間である。」という原則を思い出す必要がある、と思うのです。

親子には、2つの目線が必要なのです。
「大人の目線」と「子供の目線」のどちらか一方が欠けても、必ず不安定な関係になってしまいます。
全てを子供の好きなように任せていては、社会生活がままならなくなるのは自明です。
時間通りに保育園に通うことも出来ないでしょう。
しかし、大人の都合だけで日常生活を進めてしまうと、遅かれ早かれ、親子関係はいずれ行き詰まってしまうと思うのです。
「どうして親の言うことを素直に聞けないのか!」と言われて反発しない子供はいないと思います。
子供の人格を無視しておいて、意見の一致だけを望むのは構造的に見てもおかしいのです。
自分を子供の立場に置き換えてみるとご理解いただけるのではないでしょうか。
子供に約束したいこと
親は子供の人生の「応援団」です。選手ではありません。
最終的な人生の選択権は、息子だけにあるのです。
だからこそ子供の人格を認めた上で、2つのことに気を付けてこれからの子育てをしていきたいと思います。
・頭ごなしに相手を否定しない
・自分の考えを一方的に押し付けない
「伸びる直前の瞬間」を見逃さずにサポートしたい
これまで4年間子育てをしてくる中で、子供には伸びる瞬間、大きく成長する瞬間というものがあると感じるようになりました。
それはどういうときかというと、子供が一生懸命遊んでいる時であったり、興味のあることに集中しているときだったかと思います。
大人がああしなさいこうしなさいと言うのではなく、子供が一生懸命取り組んでいるとき、まさに伸びようとしているその瞬間に、大人がほんの少し子供の背中を押してあげるだけで驚くほど成長してくれることがありました。
子育てをする中で、子供が自分で興味をもって取り組んでいる様子を普段からしっかりと観察して、伸びる直前の瞬間を見逃さずにサポートしてあげたと思っています。
他の子供と比較してもしょうがない
子供の人格を受け止めて育てようと決意をしたあと、一つ気付いたことがありました。
それは、「みんなはこうしているよ」という言葉は自然と出てこなくなったのです。
先程も書いたように、「伸びる」タイミングは子供によって様々です。
それを親の都合で「頑張りなさい」と押し付けては伸びる芽をも摘んでしまうと思うのです。
もちろん、親が「きっかけ」を与えてあげることは大切だと思います。
ただ、最終的に子供が主体的になれるかは、子供がその気にならなければどうにもならないのではないでしょうか。
「孟母三遷」の教えに学ぶこと
少し唐突ですが、子供の教育において親が出来る役割について、、中国の言葉を引いて書いてみたいと思います。
ご存知の方も多いかと思いますが、「孟母三遷」という言葉があります。
孟子の母が、息子の教育に最適の場所を求めて転居を繰り返したという故事です。
要するに、子供の教育には環境が大切であるという教えです。
しかし、私が注目したいのは、親が出来ることは「子供の学習環境を整えるところまでだ」ということです。
この故事でも、学校のそばに引っ越すと、孟子は礼儀作法を自然とまねたので最終的に住居をそこに定めたのです。
孟子の母が孟子に対して「ああしなさい、こうしなさい」と何か具体的な指示をしたわけではないのです。
これも子供が伸びるきっかけ(ここでは環境)を作ってあげたということが重要なのです。
環境を作ってあげたら、あとは子供を信じて伸びるのを「待った」ということですよね。
私が感銘を受けるのは、まさにこの点です。
さいごに
大人は、どうしても「ああした方がいいよ」「こうしなさい」と子供に言いがちです。
子供のために良かれと思ってする行動だからこそ、余計にたちが悪く、止められないのです。
しかし、子供の成長という時間軸をより長くとってみるとどうでしょうか。
結局、子供が自分の興味関心に向き合って自律的に成長するときが一番伸びるのではないでしょうか。
親に出来るのはそのサポートでしかないのです。
子育ては今日も続きます。今日も一日頑張っていきましょう。