子育ての悩みをネットで検索するときに気を付けたいこと

子育て

ネットで検索すれば、すぐに「検索結果」は出てくる

日々の悩みや困っていることも、ネットで検索すればあっという間に情報が手に入る世の中です。

育児に関する悩みも例外ではありません。

同じ位の月齢の子と他のママはどう向き合っているのか、このイヤイヤ期はいつまで続くのか、なぜうちのパパは育児に積極的に関わってくれないのか。

果たして自分が行っている育児は正解なのか、何か間違っている点があるとすればどこをどう直せば良いのか、本当に不安になってしまいますよね。

そうした悩みも、ネットで検索すれば一瞬で「検索結果」が表示されます。

ただ、ネットに書かれているそうした「検索結果」をそのまま我が子に当てはめてしまうのは、少し問題なのではないか。

より正確に言うと、悩みが「解決したように見えるけれど解決はしていない」状態に陥ってしまうのではないか。

最近、そう思うのです。

ネットの検索結果を我が家で実行に移す前に、少し「心を落ち着けてみる」必要があると思うのです。

育児の困りごとをネットで検索していて気付いたこと

子育てに関する情報をネットで収集していて、大きく2つの傾向があることに気が付きました。

①問題解決の方法をストレートに書いてあるページが多い

1つ目は、問題解決の方法をストレートに書いてあるページが多いということです。

例えば「子供が保育園に行きたがらない時の対応方法」とか、「子供に言ってはいけないNGワード集」等のサイトです。

育児に関する理想的な対応が記載されている、いわゆる育児ハウツーに関するページです。

②子供の将来に対する不安感を書き立てるページが多い

2つ目は、子供の将来に対する不安感を書き立てるページが多いということです。

具体的には、「将来食いっぱぐれない子供の育て方」「子供を天才脳に育てるには?」「子供の能力は3歳までに決まる!」等のサイトです。

今、手を打たなければ将来に間に合わないと親を焦らせて、習い事や幼児教材への申込を誘うことも多くあります。

情報を鵜呑みにすると、逆に追い込まれてしまう危険性が

冒頭に「『検索結果』をそのまま我が子に当てはめてしまうのは、少し問題なのではないか。」と書きました。

どうしてそう思うのか、以下に書いていきたいと思います。

まず、①「問題解決の方法をストレートに書いてある」ページについてです。

ページに書いている内容を実行して課題が解決するのであれば、めでたしめでたしで終わります。

ただ、そう簡単に問題が解決するものなのか、と私は感じてしまうのです。

子育てをはじめ、人間と人間の関係においては、原因と結果の関係が直接的に見えにくい場合が多くあります。

例えば夫婦間のすれ違いを例に見てみましょう。

何か一つのきっかけで夫婦げんかになったとしても、実際はそのけんかに至るまでにいくつもの不満やすれ違いが重なっている場合が多いのが実情だと思います。

そして、それは子育ての問題でも同じだと思うのです。

「解決ボタン」を探しても正解は見つけられない

何を言いたいのかというと、「スイッチ一つ」押して解決できる問題の性質ではない場合が多くあるということです。

そうにも関わらず、ネットでは「こうするのが正解」といった解決策が次々と提示されています。

私が心配しているのは、子供の悩みに大人が正解を求める場合には、問題自体を大人が「自分の都合」に良いように単純化してしまっている可能性がある点です。

親が子育てで困っている場合、その多くは子供自身が不安や困難にぶつかっているときなのです。

子供は言語能力もまだ習得中なので、自分の気持ちや不安をうまく表現をすることができません。

そうした状況を理解せずに、単純な因果関係の「解決ボタン」を探しても、本質的な問題を先送りしているだけではないかと思うのです。

心理療法家の河合隼雄は、その著作の中で単純な因果論に陥ることの危険性に対して警鐘を鳴らしています。

少し長くなりますが、以下にご紹介したいと思います。

人間が自分のことを考えたり、他人のことを考えたりするときに、因果的に考えすぎると、間違いを起こすのではないかと思うんです。(中略)
因果論の考え方のほうは、要するに頭だけで物事が処理できたり、指先一本でできるわけです。(中略)
それが一般化しているので、自分の子供をワンタッチで学校へ行かせたいわけですね。(中略)
「先生、これだけ科学が発達して、ボタン一つ押せばロケットが月に行っているでしょう。うちの息子を学校へ行かすボタンはどこにあるんですか」って言われた方があります。
父親は現象の外におって、ボタンを押して子供を学校へ行かせたい。
しかし、それはできないんです。なぜかというと、子供は生きていますから。(中略)
「私」という人間は外にいまして、ここで何か起こっている、ここで原因があって結果がある。だから、ここを押せばこう治ると、こうやりたいんですね。「私」は何を考えているかといったら、ボタン押しをやりたいわけです。

河合隼雄「物語と人間の科学」(岩波書店)※文章を抜粋の上、順序を一部改変

「私」を関係の外に置くと、見えるものが見えなくなる

河合氏は、決して因果律や近代科学の有効性を否定しているわけではありません。

しかし、生きている子供を相手にする場合には、単純な因果律を適用して相手をワンタッチで動かすようなことは出来ないと言っているのです。

どうしてかというと、「私」と子供は人間同士であり、お互いの間には「関係」が出来ているからです。

子供自身の悩みに「私」は「関係」しているはずです。その関係を切り離して、ボタン押しなんて出来るものではないのです。

それでは、私を含めた全体がお互いに関係性を持っていると考えると、どうでしょうか。

先程の例を踏まえると、うちの子供が学校へ行かないことの意味は、私にとって何を意味するのかというふうになってきて、自分が動いていこうということになります。

誰もが人間と人間との関係に悩み、困っているのです。

ネット社会は不安を増大させる

情報の多いネット社会では、検索すればすぐに「検索結果」は手に入ります。

しかし、検索した情報を活用して安心が増える場合ももちろんあるのですが、逆の場合も多くあります。

我が家で出来ていないことや足りていないことが、どんどん情報として目に入ってくるのです。

そうなると、我が家の子育てって大丈夫かな、と不安感が増していきます。

将来に向けた準備なんて何も出来ていない、と心配になってしまいます。

次々と検索しても、むしろ検索すればするほど、キラキラしたお洒落ママや芸能人のママタレントの様子が目に入ってきてしまいます。

でも、親として知っておくべきことがあります。

子育ての悩みの多くは、他の家庭と比較することで生まれてくるものなのです。

他の家庭と比較しても、誰も得しない

親としてできること

自分の子供の「今」を否定せずに、より充実させる手伝いをすること。

たとえ今は上手くできなくても、子供の成長を信じて「待つこと」。

親が子供にしてやれることは限られています。

だからこそ成長を信じて待ってあげたいのです。

咲くのを信じて待つよりほかはない

以前の記事にも書きましたが、子育ての正解を「外」に求めては自分が不機嫌になるだけです。

子育ての正解は、親子の関係性の中にこそある

2018-11-24
皆さんの中で、ネットで子育て情報を検索することでより不安を感じてしまう方がいらっしゃったら、子育てが「うまくいかない」と思っている方がいらっしゃいましたら、どうか悩んでいるのは自分だけではない、と気づいてもらいたいのです。

子育ては今日も続きます。一緒に頑張って行きましょう。